苦境にあってはじめて、その人物の真価が分るということを表した言葉です。
「疾風」は速い風、はやてをいいます。「勁草」は強い草、風になびかない強い草、の意味から節操の堅い人のたとえを言います。
出典は『後漢書』王覇傳です。
漢王朝はBC206年からAD220年まで、約400年にわたる長期政権ですが、途中丁度真ん中あたりで王莽(オウモウ)が新という国を建てます。ところがAD8~AD23の15年間という短期政権で、すぐ亡んでしまいました。AD25年に後漢王朝が成立するまでの間、ごたごたが起こります。
後漢の初代となる劉秀(リュウシュウ:光武帝)が、黄河を渡って河北を攻める時、劉秀を支えていた功臣団の中に王覇(オウハ)と言う人がいました。
王覇は数十人の賓客を引き連れて困難な河北攻略に参戦します。大変な戦いで一人去り、二人去りの状態が続いて、とうとう王覇一人となってしまいました。
光武謂覇曰、
光武、覇(ハ)に謂ひて曰く、
劉秀は王覇に言いました。
潁川從我者皆逝、
潁川(エイセン)より我に従ふ者皆な逝(ゆ)きて、
潁川から私に従って来た者は皆去っていき、
而子独留努力。
而して子独り留まり努力す。
今では君だけが留まっていて努力してくれている。
疾風知勁草。
疾風に勁草を知る、と。
困難の中にこそ、その人間の本質というものが輝くのだ、と。