一方の言い分だけを聞いて判断すると、災いが生まれるということを表した言葉です。
【偏聽】は、どちらか一方の言い分だけを聞いて判断してしまうと、災いを生じるという意味です。
【生姦】は、道理に外れた善くないことが起きると言う意味です。
故百里奚乞食於路,繆公委之以政
故に百里奚(ヒャクリケイ)は路に食を乞いしかども、
繆公(ボクコウ)、之に委(ゆだ)ぬるに政を以てし、
百里奚は路傍で物乞いをしていましたが、
(秦の)繆公は彼に政治をゆだね、
甯戚飯牛車下,而桓公任之以國。
甯戚(ネイセキ)は牛を車の下に飯(か)いしかども、桓公、之に任ずるに国を以てす。
甯戚は車の下で牛にやっていましたが、(齊の)桓公は国事を彼にまかせました。
此二人者,豈借宦於朝,假譽於左右,然後二主用之哉
此の二人は、豈に宦を朝に借り、誉れを左右に假り、然る後、二主之を用いしならんや。
此の二人は、もともと朝廷の官吏でもなく、
また回りの者から言われて用いたのではありません。
感於心,合於行,親於膠漆,昆弟不能離,豈惑於眾口哉。
心に感じ、行いに合し、膠漆より親しく、昆弟も離す能わず、豈に衆口に惑わされしならんや。
心に共感し、行いは一致し、膠漆より親しく、離すことのできない兄弟のきずなが、
あったればこそ、実現したのです。人々の口に惑わされることは有りませんでした。
故偏聽生姦,獨任成亂。
故に偏聴は姦を生じ、独任は乱を成す。
ですから、一方だけを聴けば善くないことになり、独善でやれば乱をおこすものです。
『史記』魯仲連(ロチュウレン)鄒陽(スウヨウ)列伝第二十三を出典とした言葉です。
齊の國の弁舌の人鄒陽は、友人の中傷で投獄されてしまいました。命がけの上申書を梁の孝王に差し出しました。
歴史的な人物をつぎつぎにあげて孝王の心を動かし、鄒陽は釈放された上で、上客として遇されました。
故百里奚乞食於路,繆公委之以政;甯戚飯牛車下,而桓公任之以國。此二人者,豈借宦於朝,假譽於左右,然後二主用之哉?感於心,合於行,親於膠漆,昆弟不能離,豈惑於眾口哉?故偏聽生姦