ほとんどの者が阿(おもね)り従っている中で、一人、恐れ憚(はばか)ることなく正論を吐くことを言います。
【諤諤】は、ことの是非善悪を憚ることなくありのまま言うことです。ずけずけと直言することです。
戦国時代、秦が七雄(齊・楚・秦・燕・韓・魏・趙)の中から、突出する基盤を作ったのが法家に分類される商鞅(ショウオウ)です。
秦の第25代孝公(B.C.362~B.C.338)のとき宰相として、第一次、第二次の『商鞅の変法』を強行しました。政治・経済の両面で国政の改革を行い、秦を一大強国に伸し挙げました。
秦の始皇帝(秦王として第31代)から遡ること6代の出来事でした。
商鞅の急激な改革には、当然反発をもつ者も多く、秦の一族や外戚の中には、商鞅を怨む者がいました。宰相となってから10年ほど過ぎた時、趙良(チョウリョウ)が面会を求めました。
『史記』商君伝に趙良が商鞅に諫言した言葉の中で【一士諤々】を使っているのが記載されています。
『千匹の羊の皮は、一匹の狐の腋の下の皮には及びません。
千人の盲従は、【一人の志ある人物の直言には及びません】。
周の武王は、臣下に直言させたために昌(さか)え
殷の紂王は、臣下を黙り込ませてしまったために亡びました。
あなたが武王を非とされないのでしたら、私は一日中でも正直に申し上げましょう
孝公の存命中は安泰であった商鞅も、孝公が亡くなると途端に追い落としに会います。
司馬遷は本紀・世家・列伝それぞれに「太子公曰く」としてコメントを付記しています。
商君列伝へのコメントは、なかなかに厳しいものがあります。
太子公曰く
商君は、その天性、残酷無情の人であった。孝公に仕官しようとして帝王の道を説いたのは、
心にもない説を述べたのであって、その本質ではない。(中略)。
公子を処刑し、魏の将軍をあざむき、趙良の忠告を聞き入れなかったのは、
商君の恩情が少ないことを明らかにしている。