貧賤の時の交友は、いつまでも忘れてはならない、という意味です。
貧賤の時に交際していた友人は、富貴になった後も決して忘れず、大切にしなければならない。
出典は『後漢書』宋弘伝です。
後漢の初代皇帝:光武帝の姉の湖陽公主(コヨウコウシュ)が未亡人となり、宋弘(ソウコウ)と結婚したい気持ちがあるのを察して、帝が姉を屏風の後ろに隠し、宋弘の意中を問うたときの宋弘の答えの中の言葉です。
帝はおもむろに宋弘に語りかけました。
諺言貴易交、富易妻、人情乎。
諺(ことわざ)に言う、貴(たか)くして交はりを易(か)へ、富みて妻を易(か)ふ、人の情か。
諺に、出世すると交際相手を変え、金持ちになると妻を変える、と言うが、
これが人情だろうな。
弘曰、臣聞貧賤之交、不可忘。糟糠之妻不下堂。
弘曰く、臣聞く、貧賤の交はりは忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず、と。
宋公が言いました、私が聞きますには、
どんなに富貴になっても、貧乏時代の交友は忘れてはならないし、
貧乏な時から苦労をともにしてきた妻は、表座敷から下に降ろさない、と。
帝顧謂主曰、事不諧矣。
帝、顧みて(湖陽公主)に謂いて曰く、「事かなわず」と。
皇帝はふりかえって言いました。「これは見込みがありませんな」。