わずかな時間も惜しむ。時間を大切にして、わずかな時間も無駄にしないことのたとえです。
出典は『晋書』陶侃伝です。
陶侃(トウカン)は、東晋の名将で、陶淵明の曽祖父です。従軍すること41年、大将軍として治績をあげました。
陶侃は、処世術の一つとして、時間を大切にすることを訴えていました。
彼の家を訪れる友人知人に、口癖のように繰り返し言ってました、
大禹聖者、
大禹(タイウ)は聖者なるに、
夏の禹王は聖者であるのに
乃惜寸陰。
乃ち寸陰を惜しむ。
なおかつ寸陰を惜しんで努力を重ねた。
至於衆人、
衆人に至りては、
我々、衆人にあっては、
當惜分陰。
当(まさ)に分陰を惜しむべし。
まさに分陰を惜しむべきである。