【秋毫(シュウゴウ)を明察(メイサツ)す】と訓読みします。
どんな小さなことも見逃さない、洞察力にすぐれていることを表す四字熟語です。
【明】は、日+月だから「あかるい」んだろうと思われがちですが、実は違います。「日」は窓の象形です。
窓からこもれ出(いずる)月の光による「明るさ」を表す字です。
【察】は、「宀+祭」の会意文字です。祭祀・儀礼を行う建物を表す字です。その中で祭りを行って
神意をうかがい見ることを【察】といいます。
【明察】は、ものごとをはっきりと見抜くことです。
【秋】は、「禾+龜+灬」からできた会意文字です。虫を焼いて豊作を祈る儀式を表す字として作られました。詳しくは【No.295 春蘭秋菊:シュンランシュウギク】を一読して下さい。
【毫】は、「高+毛」からできた形声文字です。「ふで。わずか」と言う意味があります。
【秋毫】は、秋になって、新しく生え変わる鳥獣の細かい毛のことを言います。
戦国時代に、軍事力による覇道(ハドウ)政治を戒めて、道徳による王道政治の理想を説いたのが孟子です。
孟子と戦国諸侯の対話や、孟子と高弟たちの言行・思想を編纂したのが『孟子』です。
【明察秋毫】は、『孟子』の梁・恵王(リョウ・ケイオウ)章句・上に出ています。
齊の宣王が孟子に、「あわれみの心が王たるべき資格として必要なのは、どうしてですか」と聞きました。
王に復(もう)す者ありて、吾が力は以って百鈞(ひゃっきん)を挙げるに足るも、
以って一羽(いちう)を挙げるに足らず。
今王の前で『私の力は百鈞を持ち上げることができるが、
一枚の羽はどうも持ち上げられない。
明は以って秋毫の末を察(み)るに足るも、輿薪(よしん)を見ずと曰わば、
私の目は獣の細かい毛を見分けることはできるが、車に積み上げた薪は
見ることができない。』 などと申す者があったら
則ち王これを許さんか。
その者の言うことを、お認めになられますか。
曰く、否。
宣王「いや」
羽が持ち上げられないのは、力を出そうとしないからです。薪が見えないのは、見ようとしないからです。
人民の生活が安定しないのは、あわれみの心を人民にかけてやらないからです。
王様が、王者と成られないのは、なろうとなさらぬからであって、出来ないのではありません。
要するに、国が国としてのやるべきことをやっていないからで、能力がないからではありません。