物事の終りにあたり、最初のような愼重さを忘れなければ失敗するということはあり得ない、という意味です。『老子』六十四章にある言葉です。
爲者敗之、執者失之。
為(な)す者は之を敗り、執(と)る者は之を失う。
何かをしようとすれば台無しになり、何かに執着すればかえって失う事になる。
是以聖人、無爲、故無敗。
是(ここ)を以て聖人は、為すこと無し、故に敗るること無し。
そこで「道」を知った聖人はことさらなことをしないから失敗することがない。
無執、故無失。
執(と)ること無(な)し、故(ゆえ)に失(うしな)うこと無(な)し。
物事に執着しないので失うこともない。
民之從事、常於幾成而敗之。
民の事に従うや、常に幾(ほと)んど成るに於いて之を敗る。
人々が何かをしようという時は、あと少しで完成という所で油断して失敗してしまう。
愼終如始、則無敗事。
終わりを慎しむこと始めの如くすれば、則ち事を敗ること無し。
物事の終りにあたり、最初のような愼重さを忘れなければ失敗するということはあり得ない