秦の繆公(ボクコウ)と、繆公の愛馬を食べてしまった村人300人の感動の物語から生まれた言葉です。
『史記』秦本紀・繆公(ボクコウ:B.C.659~B.C.621)十五年(B.C.645)九月壬戌(ジンジュツ)に載っている出来事です。
晉が旱魃(カンバツ)のとき、秦の繆公は穀物を快く提供しました。
繆公十五年、秦が飢饉になったとき、晉は一粒の穀物も提供せず、あろうことか
弱みにつけ込んで秦に攻め入ってきました。
韓の地で、晉の恵公と秦の繆公が対戦しました。
晉の恵公は全軍を投入して短期決戦に持ち込みました。
しかし、恵公の騎乗する馬が、ぬかるみに足を取られ、動けなくなってしまいました。
これを見た繆公は、自ら手勢を従えて襲いかかりましたが、恵公の馬は何とかぬかるみを
脱して逃げてしまいました。
反対に突っ込んで行った繆公のほうが晉軍に囲まれ、形勢は逆転、繆公は負傷し、馬は進めず、
あわやの時を迎えます。
この時、何処からともなく三百人の集団が駆けつけ、繆公を包囲する晉軍に斬り込んで大暴れ
しました。不意をつかれた晋軍は包囲を解き、繆公は危機を脱し、かえって晋君を生け捕りに
することができました。
三百人の集団、何者か。
かって繆公は、愛馬を見失ったことがありました。見つけた時は、山の麓に暮らす者たちが、
繆公の愛馬を捕まえて、皆で食べてしまったところでした。
その数三百人。役人が捕らえて罰しようとすると、繆公は「君子は家畜のために、人を
害してはならない。
吾聞、食善馬肉、不飲酒傷人
吾聞く、善馬の肉を食いて、酒を飲まざれば、人を傷う。
わしは、良馬の肉を食ったら酒を飲まないと人を傷(ソコナ)う、と聞いている、
と言って、皆に酒を賜い罪を赦してやりました。
三百人の者たちは、秦が晋を撃つと聞いて、みな従軍を願い、繆公が危険になったのを見ると、
命を顧みず、死を争って、馬を食って赦された徳に報いたのでした。