少人数では大人数にはかなわない、という意味です。
【寡は衆に敵すべからず】は、『孟子』梁惠王上傳を出典としています。
【衆寡敵すべからず】は、『三国志:魏志』張範傳を出典としています。
孟子が斉の宣王(前342~前324)に語りました。
(孟子)曰、鄒人與楚人戰、
曰く、鄒(スウ)人楚人と戦はば、
孟子が言いました、(小国の)鄒と(大国の)楚とが戦ったならば、
則王以爲孰勝。
則ち王、以て孰(いづ)れか勝つと爲すと。
王様、いったいどちらが勝つと思いますか、
曰、楚人勝。
曰く、楚人、勝たんと。
王は言いました、楚が勝つだろう。
曰、然則小固不可以敵大。
曰く、然らば則ち小は固(もと)より以て大に敵すべからず、
孟子が言いました、そのとおり。分かりきったことで、小は大にはかないません
寡固不可以敵衆。
寡は固より以て衆に敵すべからず。
寡は衆にはかないません。
弱固不可以敵彊。
弱は固より以て彊(キョウ)に敵すべからず。
弱は強にはかないません。
後漢末に、董卓(トウタク)が乱を起こしたので、張承(チョウショウ)が天下の人々と協力して董卓を攻め滅ぼそうとしたとき、張承の弟の張昭(チョウショウ)が兄に言いました、
今欲誅卓、衆寡不敵。
今卓を誅(チュウ)せんと欲するも、衆寡敵せず。
今、董卓を攻め滅ぼそうとしても、少人数では多人数にかないません。
且起一朝之謀、戰阡陌之民。
且(か)つ一朝の謀(はかりごと)を起して、阡陌(センパク)の民を戦わしむ。
そのうえ、にわかに計画を思い立ち、あぜ道に働く民衆を戦わせるのです。
士不素撫、兵不練習。難以成功。
士、素(もと)より撫(ブ)せず、兵、練習せず。以て功を成すこと難し。
士は平素目をかけていたわけではなく、
兵は訓練されておりません。それでは成功するのは難しいでしょう。