マルクス・トゥッリウス・キケロ(B.C.106年~B.C.43年)は、共和政ローマ期(B.C.509年~B.C.27年)の政治家、文筆家、哲学者です。
多才と弁論で政界に地歩を占めたが、アントニウスと対立し、第二次三頭政治樹立後、追放され殺害されました。
法律上/政治上の論策のほか、哲学/修辞学/弁論術に関する多く論述や書簡は後のラテン散文の模範となったようです。
B.C.81年(25歳) 法律家として活動開始。
B.C.76年(30歳) 財務官に就任。
B.C.70年(36歳) 『ウェッレス弾劾演説』により名声を上げた。
B.C.66年(40歳) 法務官。
B.C.63年(43歳) 執政官に就任。
B.C.58年(48歳) プブリウス・クロディウス・プルケルの訴追によりローマからの逃亡を余儀なくされる。
B.C.57年(49歳) ローマに凱旋帰国する。
アントニウスと対立、第二次三頭政治樹立後、追放され
B.C.43年(63歳) 12月7日、アントニウスの放った刺客により殺害された。