【宜(よろ)しく一日(イチジツ)を愼(つつし)むべし】は、その日その日の一日を、愼むようにしなければ
いけません、という意味の言葉です。
佐藤一齋先生67歳~78歳の間で書き認めたものをまとめた『言志晩録』258条に記載されています。
送昨日、迎今日、送今日、迎明日。
昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日を迎う。
昨日を送って今日を迎え、今日を送って明日を迎える。
人生百年、不過如此。
人生百年、此(か)くの如(ごと)きに過ぎず。
人生百年生きたとしても、このようなことを繰り返しているに過ぎない。
故宜愼一日
故(ゆえ)に宜しく一日を慎むべし。
だからこそ、その日その日を慎まなくてはならない。
一日不愼、遺醜於身後。
一日慎まずんば、醜(シュウ)を身後(シンゴ)に遺(のこ)さん。
一日を慎まなければ、死後に醜名(しこな)を残す事になる。
可恨。
恨(うら)むべし。
残念な事である。
羅山先生謂、
羅山(ラザン)先生謂(イ)う、
林羅山先生がおっしゃった
暮年宜謀一日事。
暮年(ボネン)宜しく一日の事を謀(はか)るべし、と。
晩年になったら、その日一日の事だけ考えて生きるがよい、と。
余謂此言似淺非淺。
余(ヨ)謂う、此(こ)の言、浅きに似て浅きに非あらず、と。
私は、この言葉は浅薄(センパク)なように思われるが決して浅薄ではない、と思う。