人の長寿を祝う言葉として使われます。
【大椿】というのは伝説の大木で、八千年を春、八千年を秋としている木だそうです。
ですから【大椿】にとっての四季の長さは、八千年×四季ですから三万二千年となります。
『荘子』の「逍遥遊:ショウヨウユウ」篇に出て来ます。「逍遥遊」を「こころまかせの遊び」と読みますと、この一篇に述べられている【荒唐無稽】な話も、なにやら高尚な譬え話に読めます。
下記の一節から【朝菌晦朔:チョウキンカイサク】と【蟪蛄春秋:ケイコシュンジュウ】の四字熟語が生まれています。
小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。
小さな知恵は大きな知恵に劣るし、短い寿命は長い寿命に劣るものだ。
奚(なに)を以て其の然(しか)るを知る。
どうしてそれが分るかというと
朝菌(チョウキン:朝に生えて晩に枯れるキノコ)は晦朔(カイサク)を知らず、
朝菌は朝から暮れまでのいのちで、夜と明け方を知らず、
蟪蛄(ケイコ:夏ゼミ)は春秋を知らず。
蟪蛄は夏だけの命で、春と秋を知らない。
此れ小年なり。
これは短命だからである。
楚(ソ)の南に、冥霊(メイレイ)なる者あり。
楚の国の南方には冥霊という木があって、
五百歳を以て春と為し、五百歳を秋となす。
五百年を春とし、五百年を秋としている。
上古、大椿(タイチン)なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す。
大昔、大椿という木があって、八千年を春、八千年を秋としていた。
而(しこ)うして彭祖(ホウソ)は乃(すなわ)ち今、久(ひさ)しきを以て特(ひと)り聞(きこ)ゆ。
ところが、(七百歳の)彭祖は、現在、長命によって特に有名で、
衆人これに匹(ひつ)せんとする、亦(ま)た悲しからずや。
人々は、長寿のことを話題にする時は必ず彭祖をひきあいに出す。何と悲しいことではないか。
「小知」は「大知」に及ばず。「逍遥遊」篇では「大知」に軍配を上げています。
以下は私の作り話です。
「小知」が「大知」に言いました
『大男、総身に知恵は 廻りかね』
なにおっ! 「大知」が切り返します
『小男の、廻った知恵は 知れたもの』。
どっちもどっち。
11月7日は、立冬で、七十二侯の55番目「山茶(つばき)始めて開く」です。