【論語読みの論語知らず】は、論語を読んでも、それを実際の行動に移せない、実践できないことをいったものです。
この言葉のもとになったのは、朱熹の『論語序説』です。
この中で、程頤(伊川:イセン)の語として記載されています。
『論語読みの、論語読まず』というような形で出ています。
程子曰、
程子曰く、
程子が言いました、
今人不會讀書。
今の人、書を讀むことを會さず。
今の人は書物を読むことができていない。
如讀論語、
論語を讀むが如き、
『論語』を読む場合、
未讀時、
未だ讀まざる時、
読む前に
是此等人、
是れ此れ等の人、
ある段階だった人が
讀了後、
讀み了って後も
読み終わっても
又只是此等人。
又只是れ此れ等の人なるは、
同じ程度のままなのは
便是不曾讀。
便ち是れ曾て讀まざるなり。
全く読んでいないということなのだ。