「戦戦」は、おそれる・おののくという意味です。常用漢字に「兢」の字が無いため「恐」に置き換えて「戦戦恐恐」で使われることが多いのですが、正しくは「戦戦兢兢」です。「恐」は恐怖心に駆られて、ひたすら恐がっている様子を表しますが、「兢」の方は、恐れてびくびくしているだけでなく、むしろ畏敬の念を持って「おそれつつしみ、慎重に、用心深くありなさい」という意味を持っています。ですから「戦戦兢兢」はプラス・イメージの四字熟語です。
出典となっているのは『詩経』の小雅(しょうが)・小旻(しょうびん)というところにある詩の一節です。
「・・・・ 戦々兢々として、深き淵に臨むが如く、薄き氷を履むが如し」
深い淵(ふち:水を深く湛えているところ)の断崖に立った時には、落ちない様に注意し、薄い氷の上を歩くときには、割れて水中に陥らない様に慎重に行動しなさい。
「戦戦兢兢」を引用して作られた『詩経』のこの詩は、君主として改革をする時は、虎を手打ちにしたり、黄河を歩いて渡るような無謀なことをしないで、畏れつつしむ気持ちを持って、おやりなさい。 となっています。
「戦戦兢兢」は『詩経』を初出として、
『孝経』という古典では、「富貴な人は、日頃から「孝」について考え、謙虚な振る舞いを心がけなさい。 『詩経』にも書いてあるように、戦戦兢兢、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し、と」。
また『論語』の泰伯篇では、孔子のお弟子さんの曾子が自分の体を傷つけないよういつも気にしていたことを、今わの際で曾子の弟子たちに「私の手足を見てごらん、傷一つないだろう。親から頂いたこの体、『詩経』に言うように戦戦兢兢、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し、で今日まで来た。もうその気遣いはいらない。さらばじゃ」
多くの支持を得て12月19日大阪市長になられた、前大阪府知事の橋本徹さん、就任前からの報道によるイケイケドンドンぶり、頼もしく拝見しております。
今から2500年ほど前に書かれた先程の『孝経』のなかに、
『上に在りて驕らざれば、高くとも危からず。 節を制し度を謹めば、満つるとも溢れず。詩に云う、戦戦兢兢、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し』
とありました。
小生の意訳: 驕ることなく、節度をもって
断行したる、その後は
想定外の成果あり
戦戦兢兢なればこそ。
大阪都構想成功しますように。