武装を解いて戦いや争いを止めることを言った言葉です。
『史記』淮陰(ワイイン)侯列伝のお話です。
【背水の陣】で趙を破った韓信は、次の目標として北の燕と東の齊を伐とうとしました。
捕えていた趙の名将広武(コウブ)君に教えを請いました。
広武君辭謝曰
広武君、辞謝して曰く
広武君は断って言うには、
臣聞敗軍之将、不可以言勇。
臣聞く、敗軍の将は、以て勇を言う可(べ)からず
私はこう聞いております、敗軍の将は武勇について語るべきではないし
亡国之大夫、不可以圖存。
亡国の大夫は以て存するを図るべからず、と。
亡国の大夫は国家存続について語るべきではない、と。
頑なに拒んでおりましたが、授けた策が【按甲休兵】でした。
方今爲將軍計、
方(まさ)に今、将軍のために計るに、
ちょうど今の時点で将軍によいように計略するなら、
莫如按甲休兵、鎭趙撫其孤。
【甲(コウ)を按(くだ)し、兵を休め】、趙を鎮めその孤を撫し、
軍備を解いて兵卒を休ませ、趙を安定させて、戦災孤児に手厚くし、
百里之内、牛酒日至。
百里の内、牛酒日ごとに至らしめ、
百里四方から牛肉や酒を毎日運ばせて
以饗士大夫醳兵、
以て士大夫を饗し兵に醳(の)ましむるに如くは莫(な)し。
士大夫にごちそうし、兵士には充分の酒を飲ませてやるのが一番です。
その後、外交交渉によって北方の燕を服従させました。