世の中は広いので、いたるところ骨を埋めるに足る靑々とした山がある。狹い故鄕の地に縛られることなく、大いに他鄕に出て活躍すべきであることを言った、言葉です。
江戸時代末期の僧:釋月性(シャクゲッショウ)が27歳の時、大阪の篠崎小竹に學ぼうとしたときの『將に東遊せんとし壁に題す詩』中の一句です。
【人閒】は、「ジンカン」と讀みまして世の中のことを言います。
【靑山】は、「セイザン」と讀みまして「墳墓の地」のことを言います。
男兒立志出鄕關
男児志を立て鄕関(キョウカン)を出(い)ず
男たるべき者 志を立てて、故郷を出たからには
學若無成不復還
學(ガク)若(も)し成る無くんば復(ま)た還(かえ)らず
学問を成就することが出来なかったならば、二度と帰ってこない
埋骨何期墳墓地
骨を埋(うず)むる何ぞ墳墓の地を期せん
骨を埋めるのは、どうして故郷の地であることを望もうか
人閒到處有靑山
人閒到る處靑山あり
世の中、いたるところに死に場所とすべき青山はあるのだ
この詩は蘇軾(ソショク)が獄中にあった時、弟の蘇轍(ソテツ)に送った二首のうちの一首に
【是(いた)る処の青山 骨を埋む可し】とあるところから着想を得たのでは、と言われています。
聖主如天万物春
聖主天の如く 万物春なるに
聖主は天のように心が広く、万物は春のようだ、
小臣愚暗自亡身
小臣愚暗にして 自ら身を亡ぼす
自分はおろかにして、身を滅ぼす羽目になった、
百年未満先償債
百年未だ満たざるに 先ず債を償い
百年の寿命を全うすることなく死、罪をつぐなうことになり
十口無帰更累人
十口帰するところ無く 更に人を累せん
家族十人は頼るあてもなく、君に面倒をかけるだろう
是処青山可埋骨
是(いた)る処の青山 骨を埋む可し
人間どこで死ぬかわからぬものだ、
他年夜雨独傷神
他年の夜雨 独り神を傷(いた)ましめん
いずれの年か君は雨の夜に ひとりで心を痛めるだろう
与君世世為兄弟
君と世世 兄弟と為りて
君とはいつまでも兄弟でいたい、
又結來生未了因
又來生 未了の因を結ばん
あの世ではこの世で果たせなかった契りを結ぼう