秘密裡に悪事をなそうとしても、必ず露見する、という意味です。出典は『後漢書』楊震傳です。
後漢の楊震(ヨウシン)が東萊(トウライ)の太守として赴任する途中、昌邑(ショウユウ)という町を通った時の話です。
楊震が以前に荊州の茂才として推薦した王密(オウミツ)が昌邑の県令となっていました。
至夜懷金十斤、以遺震。
夜に至り金十斤を懐(ふところ)にし、以て震に遺(おく)らんとす。
謁見し、夜に至って懐から金十斤を取りだして楊震に贈ろうとした。
震曰、故人知君、君不知故人、何也。
震(シン)曰く、故人(コジン)君を知る、君故人を知らざるは、何ぞや、と。
楊震が言いました、私は君を知っている、
(それなのに)君が私(という人間)を知らぬのは、何故なのか。
密曰、暮夜無知者。
密(ミツ)曰く、暮夜(ボヤ)なれば知る者無し、と。
王密が言いました、夜も更けております、誰も知る者はおりません、と。
震曰、天知、神知、我知、子知、何謂無知。
震(シン)曰く、天知る、地知る、我知る、子知る、何ぞ知るもの無しと謂うや、と。
楊秦が言いました、天が知り、地が知り、私が知り、君も知る。
どうして誰も知る者無しと言えようか、と。
密愧而出。
密愧(は)じて出ず。
王密は(自分の行為を)愧じて退いた。