融通のきかない馬鹿正直者のたとえです。また、固く信義を守るたとえでもあります。
出典は『荘子』盜跖篇です。
春秋時代、魯の国に尾生(ビセイ)という正直者がいました。あるとき恋人の女性と、橋の下で会う約束をしました。
尾生は先に行って待ってました。その日上流の方で大雨があり、川の水嵩が次第に増えてきました。
彼女はなかなかきません。水嵩は益々増えます。水流も激しくなります。尾生は流されまいと必死で橋げたにしがみつきます。
そのままの状態でずっと彼女が来るのを待って、とうとう溺れて死んでしまいました。
信如尾生、
信(シン)なること尾生(ビセイ)のごときは、
尾生高(ビセイコウ)の信(まこと)です
與女子期於梁下、
女子と梁下(リョウカ)に期(キ)し、
(尾生は)彼女と橋の下で会うことを約束しました、
女子不來、
女子来(きた)らず、
彼女はなかなか来ません
水至不去、
水、至(いた)るも去(さ)らず、
水嵩が増えても去りません、
抱柱而死。
柱を抱きて死す。
橋脚に抱きついたままでおぼれ死んでしまいました。
『荘子』盜跖篇の中で、孔子と大泥棒の盜跖に対話をさせ、その中で盜跖の口から尾生の話を語らせて、更に【こんな奴は、自分の名目(約束は絶対守る)に拘って死を軽んじ、人間の本性に立ち帰って寿命を保とうとしない者だ。命が一番ってことよ】と結んでいます。