燕や雀のような小鳥には鴻や鵠のような大鳥の遠大な心はわからない。小人物には大人物の志はわからない、というたとえです。出典は『史記』陳渉(チンショウ)世家です。
陳渉少時、嘗與人傭耕。
陳渉、少(わか)き時、嘗(かっ)て人と与(とも)に傭耕(ヨウコウ)す。
陳渉は若いころ人に雇われて農耕していました。
輟耕之壟上、
耕(コウ)を輟(や)めて壟上(ロウジョウ)に之(ゆ)き、
あるとき、耕す手を止めて小高い丘に行き、
悵恨久之、
悵恨(チョウコン)すること之(これ)を久(ひさ)しくして、
嘆息することしばし、
曰、苟富貴無相忘。
曰く、苟(も)し富貴なりとも、相忘るること無からん、と。
仲間に言いました、もし富貴の身になっても、たがいに忘れないようにしよう。
庸者笑而應曰、若為庸耕。
庸者(ヨウシャ)笑って応(こた)えて曰く、若(なんじ)、庸耕(ヨウコウ)を為(な)す。
仲間の者が笑って、お前は雇われて耕している身だ、
何富貴也。
何ぞ富貴ならんや、と。
どうして富貴になどなれよう。
陳渉太息曰、
陳渉太息(タイソク)して曰く、
陳渉、ため息をついて言いました、
嗟乎、燕雀安知鴻鵠之志哉。
嗟乎(アア)、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや、と。
ああ、燕雀にどうして鴻鵠の大志がわかろうか、と。