父は子の罪悪をかばい隠し、子は父の罪悪をかばい隠す。それが人間の真情というものである。
『論語』子路篇にある言葉です。
葉公語孔子曰、
葉公(ショウコウ)、孔子に語(つ)げて日く、
葉公が孔子に話しかけて、
吾黨有直躬者、
吾が党に直躬(チョクキュウ)といふ者有り。
私の村に正直者の直躬という者がおります。
其父攘羊、而子證之。
其の父、羊を攘(ぬす)みて、而(しこう)して子之を証(ショウ)せりと。
その父が、よその羊が迷い込んだので着服したのを見て、
直躬は役所に証人として訴え出たんですよ、と云った。
孔子曰、吾黨之直者異於是。
孔子日く、我が党の直(なお)き者は是(これ)に異(こと)なり。
これに対して孔子は、私の村の正直者はそういうことはしません。
父爲子隱、子爲父隱。
父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。
父親は子供のためにその罪を庇って隠してやり、
子供は子供で、父親のためにその悪いことを隠して庇ってやります。
直在其中矣。
直(なお)きこと其の中に在り。
このように親と子が、庇い合うところに、真の正直の精神があるのです。
現代日本の刑法では、(親族による犯罪に関する特例)として下記のようになっています。
第103条(犯人蔵匿等)
第104条(証拠隠滅等)
第105条 前2条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために
犯したときは、その刑を免除することができる。