道路に落ちているものを拾って自分のものにしない、という意味です。
正しく豊かな政治が行われ国民が道徳心を抱いている太平の時代を賛美する言葉です。
『史記』孔子世家にある文章を記載します。孔子が国政に参与した結果国がよくなったような書き方になっていますが真偽のほどは、定かではないようです。
與聞国政、
国政を與(あずか)り聞くこと、
魯の国政に参与し、
三月粥羔豚者弗飾賈、
三月にして、羔豚(コウトン)を粥(ひさぐ)ぐ者、賈(あたい)を飾らず、
三か月もたつと、子羊や豚を売るものが、掛け値を言わないようになり、
男女行者別于塗、
男女、行く者は塗(みち)を別(こと)にし、
男女の路を行く者が別々の道を行くようになり、
塗不拾遺、
塗に遺ちたるを拾わ ず、
路に落し物があっても黙って拾ってしまうことをしなくなった、
四方之客至乎邑者、
四方の客の邑に至る者は、
四方の国から魯の邑に来た旅客が、
不求有司、
有司に求めざれども、
役人に頼まなくても、
皆予之以歸。
皆之に予え以て帰らしむ。
みな必要な物を与えて帰らせるようになった。