人の力を当てにするよりも、自分を頼りにしたほうが良い、という意味です。
『韓非子』外儲説右下、公儀休(コウギキュウ)の話です。
戦国時代、魯の穆公(ボクコウ)(在位、前407~375)に仕えた公儀休が、宰相になりました。
魚好きだったので、国中の人々が、我も我もと魚を届けてくれました。
でも、公孫儀は一つも受け取ろうとしませんでした。
弟が訳を聞いたところ、こう答えました。
「いや、なに、好きだからこそ、断るのだ。受け取れば、世辞の一つも言わねばならん。
やがては、人のために法を曲げることにもなろうというもの。
そんな事をしたら、たちまちクビになるだろう。クビになれば、私がいくら魚が好きだといっても、
誰も届けてくれるものはいなくなる。
私も、自分で魚を買って食べることもできなくなるだろう。
今、こうして魚を断っていれば、いつまでも好きな魚を買って食べられるではないか」。
此明夫恃人不如自恃也。
此れ夫(か)の人を恃(たの)むは自ら恃むに如かざるを明らかにするなり。
この話は、あの「他人を頼りにするよりは自分自身に頼ったほうが良い」ということを、
明らかにしている。
明於人之爲己者、
人の己れの爲にするは、
また他人が自分のためにしてくれるのは、
不如己之自爲也。
己れの自ら爲にするに如かざることを明らかにするなり。
自分で自分自身のためにするほうがよい、ということを明らかにしている。