人の世の栄華のはかないことを表した言葉です。
【槿花】は、むくげの花。朝ひらいて夕方しぼむところから、【槿花一朝の夢】ともいいます。
【槿花一日の栄】は、唐:白居易(白楽天)の『放言』五首の中の五番目の詩にでています。
詩のなかでは、槿花のはかなさを踏まえながら、
『千年の松もやがては枯れる、短命の槿花も今日一日を華やかに咲き誇る』
として、人生は結局、夢幻のもの、従って長寿を喜ぶこと無く、短命も悲しもこと無く、それぞれの人生を充実させるべきことを歌っています。
『放言』五首・其五 白居易
泰山不要欺毫末, 泰山(タイザン)は毫末(ゴウマツ)を欺(あざむ)くを要せず、
泰山も、高山だからといって、ちいさなものを馬鹿にしてはいけない、
顏子無心羨老彭。 顏子は老彭(ロウホウ)を羨むに心無かれ。
顔回も、短命だからといって、長寿の彭祖を羨むことはない。
松樹千年終是朽, 松樹は千年なるも終(つい)に是れ朽(く)ち、
松の木は千年の寿(よわい)をたもつが、いつかは枯れ朽ちるし、
槿花一日自為榮。 【槿花は一日なるも自ずから榮と為(な)す】。
朝顔の花は一日の寿命でも、それはそれでまた栄華だ。
何須戀世常憂死, 何ぞ須(もち)いん 世を戀いて常に死を憂うることを、
人の世を恋いしたって、死を憂い続けるには及ばない、
亦莫嫌身漫厭生。 亦(ま)た身を嫌いて漫りに生を厭うこと莫かれ。
また、我が身を嫌って、むやみに生を厭うこともない。
生去死來都是幻, 生去(せいきょ) 死來(しらい) 都べて是れ幻、
生まれたり死んだりすること、これはすべて幻である、
幻人哀樂繫何情 幻人の哀樂 何の情にか繫(か)けん。
幻の中にある人間の哀楽を、何の心にかけるというのか。