一たび緊急事態が起こったらば、という意味です。【いざ鎌倉】も同義の言葉です。
『史記』の袁盎(エンオウ)鼂錯(チョウソ)列伝の、袁盎についてのエピソードのなかで【一旦緩急あらば】が出てきます。
前漢、景帝(B.C.157~B.C.141)の時代「呉楚七国の乱」が終息して、直諫の士袁盎は楚の宰相に任命されました。帝にもズバズバ意見を述べましたが、採用されず、そのうち病気で辞職してしまいました。辞職後は町の人達と一緒になって生活してました。
あるとき、侠客劇孟(ゲキモウ)が袁盎を訪ねてきました。袁盎は彼を手厚くもてなしました。
すると、一人の金持ちが袁盎に言いました
「劇孟は博打うちと聞いています。あなたはどうして、そんな者と付き合うのですか」
袁盎は答えました
「なるほど劇孟は博徒である。しかしその母が亡くなった時には、葬送する客の車は
千台以上であった。
また、火急の事態に見舞われて、助けを求めてきた人には、どんなことがあろうと、
スグに駈け付けました。
だから劇孟は天下の人に頼りにされているのです。
且緩急人所有。
且つ緩急は人の有る所なり。
それに、火急の事態というものは、誰にでも起こるものだ。
夫一旦有急叩門、不以親爲解、
夫(そ)れ一旦急有りて門を叩くに、親を以て解と爲さず、
そもそも、一旦、火急の事態に見舞われて、門を叩いて助けを求めたとき、
老いた親の存命中を口実にして断ったり、
不以存亡爲辭、天下所望者、
存亡を以て辭と爲さず、天下の望む所の者は、
他の用事にかこつけたり居留守をつかったりせずに、
天下の人々に頼りにされているのは、
獨季心劇孟耳。
獨(ひと)り季心(キシン)・劇孟(ゲキモウ)のみ。
季心(キシン)と劇孟(ゲキモウ)だけだ。
今公常從數騎、一旦有緩急、寧足恃乎。
今、公常に數騎を從ふも、一旦緩急有らば、寧(なん)ぞ恃(たの)むに足らんや、と。
ところで金持ちのお前さん、【一旦緩急あらば】、
御家来の何人が命をなげ出してくれますかね。
罵富人、弗與通。
富人を罵(ののし)り、與(とも)に通ぜず。
袁盎はこの金持ちを罵(ののし)り、絶交してしまいました。
諸公聞之、皆多袁盎。
諸公之を聞き、皆袁盎を多(た)とす。
心ある人はこれを聞いて、みな袁盎を讃えました。