人間の禍福は移り変わるものであるから、災いを嘆き、幸いを喜んでばかりいてはならない。
人間の幸・不幸、人の世の禍福は、定めがたいたとえです。
【人間萬事塞翁馬】というフレーズ自体は『淮南子』本文には存在しません。
『江湖風月集』という、元の禅僧の偈頌集のなかに【人間萬事塞翁馬】が記載されています。
【人間】を『ジンカン』と読んで「人の世」とする説もあります。
近塞上之人、有善術者。
塞上に近きの人に、術を善くする者有り。
砦の近くに住んでいる人で、占いに精通している者がいました。
馬無故亡而入胡。
馬故無くして亡(に)げて胡に入る。
馬が理由もなく逃げて(となりの国の)胡に行ってしまいました。
人皆弔之。
人皆之を弔(チョウ)す。
人々は皆これを(気の毒に思って)なぐさめました。
其父曰、
其の父(ホ)曰はく、
その老人が言うことには、
此何遽不能爲禍乎。
此れ何遽(なん)ぞ福と為(な)らざらんや、と。
これがどうして幸福にならないと言えようか、いや、きっとなる。
居數月、其馬將胡駿馬而歸。
居ること数月、其の馬胡の駿馬を将(ひき)ゐて帰る。
数ヶ月たって、その馬が胡の駿馬を連れて帰ってきました。
人皆賀之。
人皆之を賀す。
人々は皆これを祝福してくれました。
其父曰、
其の父曰はく、
その老人が言うことには、
此何遽不能爲禍乎。
此れ何遽ぞ禍と為る能(あた)はざらんや、と。
これがどうして禍となることがありえないだろうか、いや、きっとなる。
家富良馬。
家良馬に富む。
家は、良馬が増えました。
其子好騎、墮而折其髀。
其の子騎を好み、堕ちて其の髀(ヒ)を折る。
その(老人の)息子は乗馬を好み、(乗馬中に)落馬して太ももの骨を折ってしまいました。
人皆弔之。
人皆之を弔す。
人々はこれを見舞いました。
其父曰、
其の父曰く、
その老人が言うことには、
此何遽不爲福乎。
此れ何遽ぞ福と為らざらんや、と。
がどうして幸福にならないと言えようか、いや、きっとなる。
居一年、胡人大入塞。
居ること一年、胡人大いに塞に入る。
1年が経ち、胡の人が大軍で砦に攻めてきました。
丁壯者引弦而戰、近塞之人、死者十九。
丁壮なる者、弦を引きて戦ひ、塞に近きの人、死する者十に九なり。
体の丈夫な若者は、弓を引いて戦いましたが、
砦の近くの人で、死者は10人中9人になりました。
此獨以跛之故、父子相保。
此れ独り跛の故を以つて、父子相保てり。
この老人の息子だけは足が不自由なことが理由で、父子ともに無事でした。
故福之爲禍、禍之爲福、化不可極、深不可測也。
故に福の禍と為り、禍の福と為る、化極むべからず、深測るべからざるなり。
こうしたことから福が禍となり、禍が福となる、その変化を見極めることはできず、
その奥深さを測ることはできないのです。