わたしの心の憂いとなっているのは、日月がどんどん過ぎ去って、二度と帰って来ないことだ
「逾:ユ」は、こ・える、す・ぎる の意味です。「邁:マイ」もこ・える、すす・む の意味です。
出典は『書経』秦誓です。
我心之憂。日月逾邁、若弗云來。
我が心の憂いは、日月(ジツゲツ)逾邁(ユマイ)して、若(しか)して云來(ウンライ)せず。
わたしの心の憂いとなっているのは、日月がどんどん過ぎ去って、
二度と帰って来ないことだ。
「我が」と言っているのは、秦の繆公(BC659~BC621)で、一説に「春秋の五覇」に数えられ、始皇帝による中国統一の礎(いしずえ)をなした王です。「怨み骨髄に入る」、「善馬の肉を食う」、「黄髪番番(コウハツハハ)」などの故事成語も繆公に関したものです。
書経(ショキョウ:宋代以降の呼称)または尚書(ショウショ)は、堯(ギョウ)舜(シュン)から夏・殷・周の政道を記録した歴史書です。「秦誓」は秦王が民衆に対する宣誓の言葉を集めた書です。
2011年3月11日 東日本大震災
三月や未だ在り在りと十年目 八重樫思無邪