自分自身のことは、とかく気づきにくいということです。出典は『韓非子』喩老(ユロウ)篇です。
喩老篇は、『老子』の句を比喩的に解釈したものと言われています。
楚の荘王が、越を討とうとしました。部下の杜子(トシ)がそれを諫(いさ)めて、
王さまが越を討とうとされるのは、なぜでございますか、とたずねると
王は、越では政治が乱れて軍も弱いからだ、と答えました。
杜子曰、臣愚患智之如目也、
杜子曰く、臣愚、智の目の如きを患(うれ)うるなり。
杜子が言いました、私は、人の知恵が目のようであることを心配します。
能見百步之外、
能く百步の外を見るも、
目は百歩も先を見ることが出来ますが、
而不能自見其睫。
自ら其の睫を見ること能(あた)はず。
自分のまつげを見ることはできません。
王さまの軍が秦や晋の軍に敗れてから、領地は数百里も失われました。
これは王さまの軍が弱いということです。
大泥棒の荘蹻(ソウキョウ)が国内で盗み回っているのに、役人はそれを止めることができません。
これは政治が乱れていることになります。
我が国が弱くて乱れていることは、越よりましだというわけには参りません。
それなのに越を討とうとされるのです。
これこそ知恵が目のようだという事でございます(身近なことはかえってわからないものです)。
荘王は、越を討伐するのをあきらめました。