天地にある万物は、この世を一時の宿りとして生まれ、やがて去っていく。
時の流れは永遠の旅人のようなものです。
人間は宿りの時間が短く、有情であるためそのことを悲しむのである。
松尾芭蕉は、『奥の細道』で用いています
月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ
馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして 、旅を栖とす。
井原西鶴は、『日本永代蔵』で次のように引用しています
人間、長く見れば、朝をしらず、短く思えば、夕におどろく。
されば天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢まぼろしといふ。
もともとは、李白の『春夜桃李園に宴するの序』です。
夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客。
夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。
そもそも天地はあらゆるものを迎え入れる旅の宿のようなものであり、
時の流れは永遠の旅人のようなものです。
而浮生若夢、為歓幾何。
而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何(いくばく)ぞ。
しかし人生ははかない夢のように短かく過ぎ去ってゆく、
喜び楽しむ時間は長くは続かない。
古人秉燭夜遊、良有以也。
古人燭を秉りて夜遊ぶ、良に以有るなり。
昔の人がロウソクに火を灯して夜中まで遊んだのは、
実にもっともなことなのだ。
況陽春召我以煙景、大塊仮我以文章。
況んや陽春我を召くに煙景を以てし、大塊の我に仮すに文章を以てするをや。
まして春の陽気が霞たなびく春景色で私を招いて、
天が、私に文章を書く才能を授けてくださった。