人生は朝露のようにはかないことを言います。
朝早く降りた露は日の出とともに消えてしまうはかなさを人生にたとえた言葉です。
【人生、朝露の如し】は、『漢書』李広(リコウ)蘇建(ソケン)伝の中で、蘇武(ソブ)に関するお話の中で登場します。
前漢:武帝のとき、蘇武は漢と匈奴の和解の使節としてに使わされました。
部下が匈奴王単于(ゼンウ)に対する謀反に加担した廉(かど)で、蘇武は匈奴に捕えられてしまいました。
蘇武は漢に忠節を貫き、匈奴に降伏しませんでした。
匈奴王単于は、既に降伏していた李陵(リリョウ)を使って、蘇部が降伏するように説得させました。
【人生朝露】は、李陵が蘇部に降伏を勧める場面で使われました。
子卿(=蘇武)どのの嫁御はまだお若かったが、聞けばもう再婚されたとのこと。
妹御が二人、娘御が二人、男の御子が一人だけ残っておられたが、それも今ではもう十年余り。
生死のほども知りがたい。
人生如朝露、
人生は朝露の如し、
人の一生は、朝露のようにはかないものなのに、
何久自苦如此。
何ぞ久しく自ら苦しむこと此(か)くの如きと。
どうして、このように長く、自分から苦労するのですか。
蘇武は李陵の説得に耳をかしませんでした。
十九年後蘇武は、部下とともに計九人、漢に帰ることを許されました。
参考までに、手紙のことを雁書(ガンショ)といいますのは、
蘇武の消息が、飛んできた雁の足に結ばれていた帛書(帛:きぬの書き付け)で知ることができたという故事によるものです。