愚(おろ)かな者でも、多くの考えの中に一つぐらい、マトを得た考えがあるということを表す故事成語です。出典は『史記』淮陰(ワイイン)侯傳です。
B.C.204年の【背水之陣】のあと、韓信はさらに北の燕、東の齊を伐つため敗軍の将として生け捕りにされた、趙のすぐれた兵法家・広武(コウブ)君に意見を求めました。
廣武君辭謝曰
廣武君、辭謝して曰く
広武君は辞謝して言いました
臣聞敗軍之將、不可以言勇
臣聞けり敗軍の將は、以って勇を言うべからず
それがしは聞いております 敗軍の将は武勇について語るべきではなく、
亡国之大夫、不可以圖存
亡国の大夫は、以って存するを圖るべからず。
亡国の大夫は生存を望んではならぬ、と聞いております。
今臣敗亡之虜、何足以權大事乎
今、臣は敗亡の虜なれば、何ぞ以て大事を權(はか)るに足らんや
いまそれがしは敗軍の虜囚です。どうして大軍を謀る資格がありましょか。
韓信はさらに強いて、心を委ねてあなたの計に従うから、どうか、遠慮しないでもらいたい。
それならばと、広武君は言いました
智者千慮必有一失、
智者も千慮に必ず一失あり、
知恵者でも必ず千に一つの考え損ないはあり、
愚者千慮必有一得
愚者も千慮に必ず一得あり、
愚か者でも必ず千に一つのうまい知恵は出ます。
その後、広武君の意見も取り入れ、他にもいろいろありましたが、一時 韓信は「齊王」になりました。
令和3年2月12日 記