【この世の始まり】を表わした言葉です。『日本書紀』神代上(かみよのかむのまき)にある言葉です。
古、天地未剖、陰陽不分、
古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分(わか)れず、
昔、天と地が分かれず、陰の気と陽の気も分かれず、
渾沌如鶏子、溟涬而含牙。
渾沌(コントン)にして鶏子(とりのこ)の如く、溟涬(メイケイ)にして牙(きざし)を含(ふく)めり。
混沌としたさまは鶏の卵のようで、暗くて見分けにくいが生れる兆しを含んでいた。
及其淸陽者薄靡而爲天
其の淸陽なる者は、薄靡(たなび)きて天に為り、
其の澄んで明るい気が薄くたなびいて天となり、
重濁者淹滯而爲地、
重濁なる者は、淹滯(とどこほ)りて地に為るに及(いた)りて、
重く濁った気が停滞して地となるその時
精妙之合搏易、重濁之凝竭難。
精妙の合搏(ゴウセン)すること易(たやす)く、重濁の凝竭(ギョウケツ)すること難(かた)し。
清く明るい気はまるく集まりやすいが、重く濁った気は凝り固まるのが難しい。
故、天先成而地後定。
故(かれ)、天(あめ)先づ成りて、地(つち)後(のち)定まる。
そのために、天がまず出来上がり、地は遅れて定まるところとなった。
然後、神聖、生其中焉。
然(しか)して後に、神聖、其の中に生(な)れり。
かくして後に、神がその中に生まれた。
2月11日は「建国記念の日」です。日本国が建国された日ではありません。「建国を祝う日」です。
その昔、聖徳太子は古代中国の予言である讖緯(シンイ)説を用いて日本の建国を決めることにしました。
「天が命をあらため、王朝をたてる」年、それは「辛酉革命」という考え方で計算をします。
60年ごとにめぐってくる辛酉の年の21回目、すなわち 60×21=1260年を単位として歴史的大事件がおこる。日本国における歴史的大事件といえば建国です。
聖徳太子が斑鳩に宮殿を立てたのは推古天皇の九年(西暦601年)で、ちょうどこの年が辛酉の年でした。それで、推古天皇九年を21回遡った辛酉の年を日本国が建国された年であると決めました。
西暦に直しますと紀元前660年となります。この年を神武天皇即位の年と決めました。皇紀元年です。
明治になってから皇紀元年の正月朔日(ついたち)を日本国の建国日としました。
太陽暦に換算しますと2月11日です。紀元節として奉祝されてきましたが、戦後廃止されていました。
昭和41年に「建国記念の日」として復活しまして、今日にいたりました。
令和3年2月11日 記