友人として極めて親密な交わりを言います。
春秋時代中期、斉の国の、管仲夷吾(カンチュウイゴ:?~B.C.645)と鮑叔牙(ホウシュクガ:?~B.C.644)の友情を元にして出来た言葉です。出典は『史記』管・晏列傳です。
管仲夷吾と鮑叔牙がお互いに相手を信頼し合い、利害得失があっても少しも友情を変えませんでした。
お互いにと言うより、鮑叔牙が管仲夷吾を大いに理解していたように思われます。
後年、管仲の鮑叔に対する述懐です。
生我者父母、知我者鮑子也。
我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり。
私(管仲)を生んでくれたのは父母だが、
私(管仲)を知ってくれたのは鮑叔牙だ。
管・晏列傳で、鮑叔牙が管仲夷吾をよく理解していた出来事です。
① 管仲と鮑叔が一緒に商売をした時、その利益を、鮑叔より余分にとりました。
しかし鮑叔は管仲を欲ばりとは言いませんでした。管仲が貧乏なのを知っていたからです。
② 鮑叔の為を思ってやったことが失敗して、鮑叔を窮地に陥れたことがありました。
管仲をおろか者とは言いませんでした。事には当り外れがあるのを知っていたからです。
③ 管仲は何度も仕官しては、馘になりました。それを無能だとは言いませんでした。
まだ運が向いてこないのを知っていたからです。
④ 戦の時に、何度も敗けて逃げ出しましたが、それを卑怯だとは言いませんでした。
管仲に年老いた母のあるのを知っていたからです。
この【管鮑の交わり】を意識して、唐の時代、杜甫が長安で貧しい生活をしていた41歳頃、「貧交行」と題する七言四句の詩を作りました。ただし三句目だけが『君不見管鮑貧時交:君見ずや管鮑(カンポウ)貧時(ヒンジ)の交わり』 と8言(漢字8文字) になっています。そんなことから古詩と言われています。
翻手作雲覆手雨
手を翻(ひるがへ)せば雲となり 手を覆(くつがへ)せえば雨となる。
手を上に向けると曇り、下に向けると雨になる。
紛紛軽薄何須数
紛紛(フンプン)たる軽薄(ケイハク)なんぞ数(かぞ)うるを須(もち)いん。
薄情な人間が多すぎて、いちいち数える気もしない。
君不見管鮑貧時交
君見ずや管鮑(カンポウ)貧時(ヒンジ)の交わり、
あんた、知ってるかい、管鮑の交わりを
此道今人棄如土
此の道 今人(コンジン)棄(す)てて土(つち)の如し。
今の奴ら、土くれのように捨てっちまった。 嘆かわしいことだ。
当時の杜甫は科挙に落ちて出世の見込みもなくなり、何とかしなくちゃと就活の真っ最中でした。
生活も荒んでいました。かつて親しくしていた友人たちも、手のひらをかえしたように、離れて行きました。
そんな友人をみるにつけて、杜甫は【管鮑之交】を思い起こしたのでしょう。