身分とか、地位とかが高いと思われている人に、取って代わろうとするたとえを表わしています。
一般に【鼎(かなえ)の軽重(ケイチョウ)を問う】でよく知られています。
【鼎】は殷・周の時代に作られた円形で三本足の青銅器です。食物を盛ったり、煮炊きにも使用したようですが、【鼎の軽重を問う】の場合は帝位継承の象徴としての宝器を意味しています。
『春秋左氏伝・宣公三年:B.C.606年』、のところに詳しく書かれています。
楚子伐陸渾之戎、遂至于雒、觀兵于周疆。
楚子(ソシ)、陸渾(リクコン)の戎(ジュウ)を伐ち、遂に雒(ラク)に至り、
兵を周の疆(さかい)に観(しめ)す。
楚子が陸渾地方の戎を伐ち、そのまま洛水のほとりまでやって来ると、
周の国境付近で観兵式を行った。
定王使王孫滿勞楚子。
定王(テイオウ)、王孫満(オウソンマン)をして楚子を労(ねぎ)らわしむ。
(周の)定王は王孫満を派遣して、楚子をねぎらわせた。
楚子問鼎之大小輕重焉。
楚子、鼎の大小軽重を問う。
楚子は、鼎の大きさと重さを尋ねた。
これに対して、王孫満が答えました、
鼎の大小軽重は、それを持つ人の徳の有る、無しによるものであって、
鼎自身には関係ありません。・・
いま、周の徳がいかに衰えたとしても、天命がまだ改まらぬ以上は、
鼎の重さを問うことは出来ぬと存じます。