戦いに敗れた将軍は、武勇について語る資格はない、という意味です。
そこから広く、失敗した者はそのことについて語る資格がない、という意味で使われてきました。
出典は『史記』淮陰侯(ワイインコウ)列伝です。
紀元前206年から202年の楚漢戦争の中での出来事です。
於是信問廣武君曰、
是に於いて信(=韓信)、広武君(コウブクン)に問いて曰く、
そして韓信は広武君に問いました、
僕欲北攻燕、東伐齊。何若而有功。
僕、北のかた燕を攻め、東のかた斉を伐(う)たんと欲す。何若(いかん)せば功有らん、と。
私は北の燕を攻め、東の斉を伐とう思うが、どうしたら成功するだろうか。
廣武君辭謝曰、
広武君、辞謝(ジシャ)して曰く、
広武君は謝辞して言いました、
臣聞、敗軍之將、不可以言勇。
臣(シン)聞く、敗軍(ハイグン)の将(ショウ)は以(もっ)て勇(ユウ)を言うべからず。
私は、こんな風に聞いております、
敗軍の将は武勇について語るべきでない。
亡國之大夫、不可以圖存。今臣敗亡之虜。何足以權大事乎。
亡国(ボウコク)の大夫(タイフ)は以て存(ソン)するを図(はか)るべからず。
亡国の大夫には国家の存立を謀る資格がない。
今臣敗亡之虜。何足以權大事乎。
今、臣は敗亡(ハイボウ)の虜(リョ)なり。何ぞ以て大事を権(はか)るに足らんや、と。
今、私は敗亡の虜囚です。どうして大軍について図ることなどできるでしょうか。