手を翻(ひるがえ)せば雲と作(な)り、手を覆(くつがへ)せば雨となるように、
人情も変転極まりないたとえとして使われてきました。
杜甫は仕官のため長安に来ました。試験に及第せず仕官も出来ず、久しく長安に寓居している間、栄達した旧友から疎んぜられたようです。そんな時、薄情な当時の世相を嘆いて、この詩を作りました。天宝11年(752)41歳の作。「唐詩選」に所収されています。
翻手作雲覆手雨、
手を翻(ひるがえ)せば雲と作(な)り 手を覆(くつがへ)せば雨となる、
手をうえに向ければ雲となり、手を下に向ければ雨となる、
紛紛輕薄何須數。
紛紛(フンプン)たる輕薄(ケイハク) 何ぞ數(かぞ)うるを 須(もち)いん。
そのように当今の人情は、ほんのわずかの間にがらりと変わってしまうものだ。
君不見管鮑貧時交、
君見ずや管鮑(カンポウ) 貧時の交わりを,
見たまえ、あの管仲と鮑叔の貧乏時代の交友を、あれが本当の友人というものだ。
此道今人棄如土。
此(こ)の道 今人(キンジン)棄(す)てて土の如し。
しかしその友人の道を、近頃の人はまるで土くれか何かのように、
惜しげもなく放り出したままなのだ。