大いなる弁舌は口下手のように見える、という意味です。出典は『老子』45章です。
訥弁は雄弁に勝ると解してもよいそうです。
守屋洋さんの『中国古典の名言・名句三百選』によりますと、立て板に水のような能弁は、意外に説得力がない。
三つ理由をあげています。なるほどと思います。
第一 一方的にまくしたてれば、相手の反応を読む余裕がなくなる
第二 ぺらぺらまくしたてれば、どうしても人間が軽薄な印象を与えてしまう。
第三 能弁であれば、必然的に前後矛盾するところや、辻褄の合わないところがでてくる。
大成若缺、其用不弊。
大成(タイセイ)は欠くるが若(ごと)きも、その用は弊(すた)れず。
大いなる完成は何かが欠けている様に見えるが、その働きは衰え無い。
大盈若沖、其用不窮。
大盈(タイエイ)は沖(むな)しきが若きも、その用は窮(きわ)まらず。
大いなる充実は空虚のように見えるが、その働きは窮まらない。
大直若詘、
大直(タイチョク)は屈(ㇰッ)するが若く、
大いなる直線は曲がっている様に見え、
大巧若拙、
大功(タイコウ)は拙(セツ)なるが若く、
大いなる技巧は拙劣なように見え、
大辯若訥。
大弁(タイベン)は訥(トツ)なるが若し。
大いなる弁舌は口下手のように見える。
躁勝寒、靜勝熱。
躁(ソウ)は寒(カン)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。
活発に動き回れば寒さに勝ち、じっと静かにしていれば暑さに勝つ。
清靜爲天下正。
清静(セイセイ)は天下の正(セイ)と為る。
さっぱりとして静かであれば、世の中の模範となる。