「学問や道徳の修得に、自ら励むこと」が元の意味です。今は「友人同士が互いに競い合う」という意味に使われることが多いようです。
衛の武公(B.C.812~B.C.758)が90歳を過ぎても尚、徳を修めようと自己練磨する姿を讃えて「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」と謳われたのが最初です。
論語學而(ガクジ)では孔子と弟子の子貢(シコウ)が「人としての有るべき姿」の話をしていた時に「切磋琢磨」が引用されました。
子貢曰く、貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは何如。
子貢が孔子に、貧しくとも、そのために人にへつらって憐れみをこうような卑屈もなく、
富んでも、驕りたかぶることのない人物はいかがなものでしょうか、と尋ねました。
子曰く、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若かざるなり。
それは結構だが、しかしまだ、貧乏だとか、金持ちだとか、こだわっている気味がある。
貧乏を忘れて楽しめる人、金持ちになっても、礼儀を愛し好む人には及ばない。
子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與。
子貢曰く、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しと。其れ斯を之れ謂うか。
これを聞いた子貢はピンと来て、詩経の中に、切磋琢磨といって、みがきの上にもみがきを
かけよという句ありますが、この句は今の言葉と同じ意味でしょうか、と尋ねました。
子曰く、賜や、始めて与に詩を言うべきのみ。諸に往を告げて来を知る者なり。
孔子は子貢の打てば響くようなひらめきに感心して、
その通り、賜(シ:子貢の名)よ、お前と詩を語り合えるな。
過去の事を話すと、すぐ未来のことを推し量る。中々の優れ者であるぞ、お前は、と云った。
切磋琢磨を刀、鑢(やすり)、鑿(のみ)、砥石で荒削りから仕上げへと進む一連の工程に譬(たと)える説と、切磋と琢磨に分けて考える説とがあります。何れにしましても古来、学問や道徳の修得には、これでいいという限界がないことを説明する時にこの詩句が引用されたようです。