一本の帯のように長く狭いひとすじの流れや海峡のことを言います。このことから双方の間に帯のような狭い隔たりしかなく、非常に近接していることのたとえに使われます。「衣帯」は衣服の帯のことです。この四字熟語は「一」+「衣帯」+「水」で構成されています。
出典は中国正史の一つ『南史』の陳後主紀(ちんこうしゅき)です。
隋朝(A.D.589~A.D.618)初年、文帝である楊堅(ヨウケン)は、南朝最後の陳後主が快楽を貪(むさぼ)り、贅沢三昧(ゼイタクザンマイ)に耽(ふけ)っていて、庶民は飢(う)えと寒さで窮乏に陥(おちい)っているのを知り、陳王朝を倒し全国を統一しょうと決心しました。隋と陳は長江(揚子江)を挟んで南北に位置していました。楊堅は輩下の大臣達に向かって「たとえ大きな河(長江)に遮られていると言っても、あの困っている人々を救わずにおられようか!」と言いました。A.D.589長江を渡り、陳朝を消滅させ、陳後主は投降しました。
このことから「一衣帯水」には、川向うの苦しんでいる国を救ってあげるんだ。という意志が働いているようです。
自分達の近海は乱獲で魚が少なくなったから、隣国の領海へ勝手に乗り込んで、漁業を展開する。注意されたら、人殺しまでする。
「一衣帯水」の精神を育(はぐく)んだ同じ国の人達なんでしょうか。