【和(わ)を用(もっ)て貴(とうと)しと為(な)す】と訓読みされ、仲よくすることが、最も大切であるということを表す四字熟語です。「用」は「以」と同じです。
【和】は「禾+口」から出来た会意文字です。
「禾」は軍門に立てる標識の木の形です。
「口」は神への祈りの文である祝詞を入れる器の形です。
「口」をおいた軍門の前で誓約して媾和(コウワ)する、すなわち戦争をやめて、平和な状態に戻すことを【和】といいます。そこから「やわらぐ、やわらげる、なごむ、なごやか」などの意味となりました。
聖徳太子が定めた「十七条憲法」の第一条にある有名な言葉です。 第一条の出だしのところは次のような言葉で始まっていました。
【原文】 一曰、以和為貴、無忤為宗。
【読み下し】一に曰く、和を以(もっ)て貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
【口語訳】 一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。
出典は、『礼記:ライキ』の儒行(ジュコウ)篇と、『論語』の学而(ガクジ)篇です。
『礼記』では
礼は和を以て貴しと為し、忠信は之れ美とし、優游(ユウユウ)を之れ法とし、・・・・・。
礼を用いて人々を和合させ、忠信の美徳を重んじ、寛大で余裕ある心境を理想とし、・・・・・。
【用】のところが【以】になっています。
『論語』の学而の第十二章に【用和為貴】が出ています。全文を掲載します。
有子曰わく、礼は之(これ)和を用(もっ)て貴(たっと)しと為(な)す。
有先生のお言葉、礼(の原則を実践する)には(現実との)調和がたいせつである。
先王の道、斯(ここ)に美と為(な)し、小大(ショウダイ)之に由(よ)れば、
先王の道はりっぱなもので、何かにつけてこれに由る(べきだ)が、
行われざる所あり。
(何ぶんにも古代と今と事情が違うから、そのままでは現実に)行なえない場合がある。
和を知りて和するも、礼を以って之を節(せっ)せざれば、
だから、和(の大切なこと)を知って和するのは結構だが、節度をもって折り目をつけないと、
亦(また)行うべからざるなり。
(何でもかんでも和だけに頼っていると、お互いにもたれ合って、礼が)行なわれたことに
ならないのだ(うまく行かないことがある)。
『有子』は、孔子の門人有若(ユウジャク)です。『論語』の中で、門人が子(先生)と称されているのは、『有子』、『曾子=曾参:ソウシン』、『冉子=冉求:ゼンキュウ』、『閔子=閔子騫:ビンシケン』の四人だけです。このことから論語はこれらの門人の、弟子たちによって編纂されたのではないだろうか、とも言われています。
一方は【用和為貴】の精神なんですが、他方が偏屈のゴロツキですとなかなか、うまくいきません。
と言うよりは、相手が【用和為貴】の精神を理解できない場合は絶望的です。