『折檻:セッカン』は、岩波『国語辞典』によりますと、きびしくしかること。肉体を苦しめてこらすこと、と記載されていました。
『折檻』には、命がけのエピソードがありました。『漢書』朱雲伝、またそれを下(もと)にした『十八史略』巻二西漢。
以前、槐里(カイリ)の長官であった朱雲(シュウン)が、上書して帝にお目にかかりたいと願った。
帝が会ってみると、朱雲は、
『どうか尚方(ショウホウ)の長官の作った斬馬の劍を拝借して、ある悪賢しこく媚び諂(へつら)う
臣の頭を切はなって、他の多くの官吏の見せしめにしたいと思います。』
『それは誰か』
『安昌侯(アンショウコウ)の張禹(チョウ)であります』
帝は大いに怒って
『地位の低いお前が、いやしくも、天子の補佐指導官を、朝廷で辱めた。
その罪は死刑にしてもまだ許すことはできない』
御史將雲下。
御史(ギョシ)、雲を將(ひき)いて下(くだ)る。
御史(ギョシ:百官の罪をただす官)が朱雲をひきずって宮殿を下がろうとしたが、
雲攀殿檻、
雲、殿檻(デンカン)を攀(よ)づ、
朱雲は宮殿の手すりにしがみついて離れない、
檻折。
檻(カン)を折る。
(むりやりに引き下ろそうとしたので)檻(てすり)が折れた。
左將軍の辛慶忌(シンケイキ)が、しゃがんで頭を床にぶつけて額から血を流しながら朱雲の為に
命乞いをしました。
帝の気持ちがこれで氷解しはじめました。折れた"てすり"を修理するときに、帝は、
『手すりを新しく取り換えてはならぬ。折れたのを集めて修繕し、
永く忠義な直臣のいたことの象徴とせよ』。