日(太陽)、月、星、星座を四っ並べた語ですが、『書経』の堯(ギョウ)典というところに出ていまして、【日月星辰】の動きを観測するという意味を表しています。
伝説の王「堯」が国を治めて、最初に行ったことが、暦の制定でした。
乃(すなは)ち羲(ギ)和(カ)に、
まず、羲氏と和氏とに
欽(つつし)んで昊天(コウテン:天空)に若(したが)って、
正しく昊天(の運行)にのっとって、
【日月星辰】を歷象(レキショウ)し、
日月星辰(の動き)を観測し、
敬(つつし)んで民の時を授(かぞ)へんことを命ず。
敬んで民の時(農耕の暦)を教え(定め)よ、と命じました。
今日は【秋分の日】です。「春分の日」と共に昼夜の長さがほぼ等しくなる日です。
秋(春)分の日は、1948(昭和23)年に「国民の祝日に関する法律」によって制定されました。
「秋分の日」と「彼岸」の関係は
① 「秋(春)分の日」は太陽が真東から昇り、真西に沈む日なので、「秋(春)分の日」は
西方浄土への道しるべとなると考えられました。
② 仏教の説く「中道」の精神が、昼夜同等の「秋(春)分の日」と通じるものがあると考えられました。
また、農耕との関係で言いますと
③ 春分は種苗の時期、 秋分は収穫の時期にあたることから、春分には豊穣を祈り、秋分には収穫に
感謝して供え物をして、祖先神を敬うということが農耕との関係と考えられました。
このようなことがもとになりまして、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」ことを趣旨として
「秋(春)分の日」が決められたようです。
一年を、二至(冬至と夏至)二分(春分と秋分)します。この二至二分の四っの日を二つに分けた日が、
立春・立夏・立秋・立冬(四立)といいます。あわせて八つの日が出来ます。春から順に並べますと
立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至。を言います。これが八節です。
この八節をそれぞれ三等分します。出来たのが二十四節気です。
「秋分の日」というのは「秋分の節入り日」で、秋分という期間の始まりの日を表します。
秋分は節入り(9月22日)から始まり、次の「寒露(10月8日~10月22日)」の節入り日の前日(10月7日)までの約15日間です。
二十四節気は、節入りの日を指す場合と、区切られた15日程の期間を指す両方の使い方があります。
さらにこの15日間を5日づつ区切ったのを七十二候といいます。
9月22日~9月27日は、立春から数えますと46番目になりまして、雷も鳴らなくなるということで
第四十六候 『 雷(かみなり)乃(すなは)ち声を収(おさ)む』
です。