濁り水もまた水である、一度澄むと清水(セイスイ)となる。『言志晩録』17条
『論語』顏淵篇に、己に克ちて禮に復(かへ)るを仁となす、とあります。それを言ったものと思われます。
濁水亦水也。
濁水も亦水なり。
濁り水もまた水であって、
一澄則爲淸水。
一たび澄めば清水(セイスイ)と為(な)る。
一度澄むと清らかな水となる。
客気亦気也。
客気(カッキ:一時のから元気)も亦気なり。
から元気もまた気であり
一転則爲正気。
一たび転ずれば正気(セイキ)と為る。
一転すれば至正至大の正気となる。
逐客工夫、
逐客(チッカク)の工夫は、
このから元気を追っ払って正気にする工夫はといえば、
只是克己。
只だ是れ克己(コッキ)のみ。
ただ己の私欲に打ち克ち
只是復礼。
只だ是れ復礼のみ。
正しい礼にかえるだけのことである。