多くのものを広く集めて、ひとつのものにまとめ上げることですが、実は孟子が孔子を讃えた言葉でした。『孟子』萬章(バンショウ)章句下
孟子曰、
孟子曰く、
孟子が言いました、
伯夷聖之淸者也、
伯夷(ハクイ)は聖の淸なる者なり、
伯夷は、聖人の中でもとくに清廉潔白な人であり、
伊尹聖之任者也、
伊尹(イイン)は聖の任(ニン)なる者なり、
伊尹は、聖人の中でもとくに責任感の強い人であり、
柳下惠聖之和者也、
柳下惠(リュウカケイ)は聖の和なる者なり、
柳下恵は、聖人の中でもとくに調和の心の豊かな人であり、
孔子聖之時者也、
孔子(コウシ)は聖の時なる者なり、
孔子は、(三人の人たちはそれぞれ一方に偏った嫌いがあるが、孔子は一方に偏らず)
時の宜しきに従って正しく行動した人である。
孔子之謂集大成、
孔子は之を集めて大成せりと謂うべし。
ゆえに孔子こそ、すべての德を集めて大成(完備)した人と言うべきである。
伯夷には、叔齊(シュクセイ)という弟がいました。殷代の孤竹君の子で、二人とも潔白な人でした。父親は
叔齊を後継ぎにしようとしたが、二人はたがいにゆずり合い、位につかず、のち周の文王をしたって周にいったが、たまたま武王が殷の紂王(チュウオウ)を討ちに行くのに会い、これを諫めて聞かれず、首陽山にかくれて餓死したという。『史記』伯夷傳
伊尹は、殷の賢人。湯王を助けて夏の桀王を討ち、殷の開国の政治に大功がありました。
柳下惠は、春秋時代の魯の大夫。賢人で物事にこだわらず、孟子に『聖の和』と評されました。柳下という地がその知行地で、死後『惠』と諡(おくりな)されたので柳下惠という。
孔子、儒教の始祖。名は丘(キュウ)、字(あざな)は仲尼(チュウジ)。魯の陬邑(スウユウ)に生まれました。
初め魯に仕え、のち、十余年間、諸国を遊歴して、諸侯に倫理・道徳を説いたが用いられず、晩年は魯で弟子の教育に専念しました。