学問(の目的)は、学んだことを実践するに至って(初めて)、最上に達したというべきである。『荀子』儒效篇。中国戦国時代末期の思想家、儒家の荀子は、学問の究極の目的は実践にあると説きました。
不聞不若聞之、
聞かざるは之(これ)を聞くに若(し)かず、
まだ聞かないことは聞いたことには及ばない、
聞之不若見之、
之を聞くは之を見るに若かず、
聞いたことは見たことにおよばない
見之不若知之、
之を見るは之を知るに若かず、
見たことは理解したことには及ばない
知之不若行之。
之を知るは之を行うに若かず。
理解したことは実践したことには及ばない。
學至於行之而止矣。
學は之を行うに至りて止(や)む。
(そこで)学問(の目的)は、学んだことを実践するに至って(初めて)、