勇気のある人は、懼(おそ)れることがないという意味です。『論語』に出ているのですが、同じようなことを「子罕(シカン)」篇と「憲問(ケンモン)」篇の二か所に出てきます。
「子罕」篇
子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。
子日く、知者は惑(まど)わず、仁者は憂(うれ)えず、勇者は懼(おそ)れず。
孔子が言いました、
知者は道理に明らかだからあれこれ迷うことがない。
仁者は道理に従い、私欲がなく、事に善処できるから、くよくよ思い患うことがない。
勇者は士気が盛んで決断先行出来る者だから、ビクビクして怖じけることがない。
「憲問」篇
子曰、君子道者三、我無能焉。
子日く、君子の道とするもの三つ、我能くすること無なし。
孔子が言いました、君子が道としてふみ行うところのものが三つあるが、
わしはどの一つも満足にはできないのだが。
仁者不憂、知者不惑、勇者不懼。
仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。
仁者は道理に従い、私欲がなく、事に善処できるから、くよくよ思い患うことがない。
知者は道理に明らかだからあれこれ迷うことがない。
勇者は士気が盛んで決断先行出来る者だから、ビクビクして怖じけることがない。
参考までに
日本語の【おそれる】にはいくつかの意味がありまして、それぞれに漢字表記があります。
【懼れる】:おどおどすること。
【惧れる】:おどおどすること。
【惧】は【懼】の俗字で、日本では【危惧】で使われます。
【惧】は2010年から常用漢字になりました。【惧】は横棒三本です。
【恐れる】、【怖れる】:こわいと感じること。
【畏れる】:敬いかしこまること。
【悚れる】:ぞっとして身をすくませること。
【慄れる】:おそろしくてふるえること。