【是非之心】といいますのは、よい悪いを正しく見分けることのできる心、のことをいいます。
孟子の、「性善説」の基礎を成すものです。
すなわち惻隠(ソクイン)、羞悪(シュウオ)、辞譲(ジジョウ)、是非(ゼヒ)の四つの心が「四端:シタン」つまり善の四つのはじまりとして、すべての人に備わっている心であると、孟子は言っています。
それを伸ばせばそれぞれ仁、義、礼、智の徳へと展開する。だから人間は努力さえすればいくらでもよき人になれるのだ。
逆に言えば、人間たるものそれを目指して常に努力するべきである。
書物としての『孟子』公孫丑上に、【是非之心】を含めた四っの心についての記述があります。
『孟子』は、孟子が各国を遊歴した紀元前4世紀末の20年間の言行を記したものです。
孟子はいいました。
人間は誰でも他の人間に対して放っておけない心がある。 たとえば
今、ちっちゃい子供が井戸に落ちかけていたとする、
アッ! 危ない、と思って助けるだろう。
その瞬間、
これをネタに子供の両親に取り入ってやろう、などと考えないだろう。
地元の英雄になって友達から賞賛されたい、などと考えないだろう。
見殺しにした薄情者と悪名を受けるのはいやだ、などと考えないだろう。
何も考えることなく、子供を助けるだろう。
これが人間本来持っている惻隠の心(かわいそうだ、と思う心)です。
同様に、
羞悪の心(悪を恥じる心)、
辞譲の心(ゆずってへりくだる心)、
是非の心(よい悪いを正しく見分けることのできる心)、が
生まれながらに備わっている心です。
逆にこれら四つの心がない者は、人間ではない。
とまで、孟子は言ってます。
【No.177 惻隠之心】も一読下さい。