優れた人物は、必ずその才能を発揮し真価が現れることのたとえです。袋の内に錐があれば、その先端が自然に袋の外に突き出ることからいわれました。 『史記』・平原君伝にでてくる故事に由来する言葉です。
中国戦国時代、B.C.259年秦が趙の都邯鄲を包囲しました。
平原君は楚に救援を求めるべく、食客20人を選んで連れていくことにしました。
19人までは決まったのですが、あと一人が決まりません。
そのとき、毛遂(モウスイ)という無名の食客が自分から名乗り出ました。平原君と毛遂の会話です。
平原君曰、夫賢士之處世也、
平原君曰く、夫(そ)れ賢士の世に処(お)るや、
平原君が言いました、そもそも、賢明な人士が世の中にいる状態は、
譬若錐之處囊中、其末立見。
譬(たと)えば錐の囊中(ノウチュウ)に處(お)るがごとく、
其(そ)の末(すえ)立(た)ちどころに見(あらわ)る。
たとえば錐が嚢の中にあるようなもので、錐の先が囊を突き抜いてたちどころに
世にあらわれるものだ。
今先生處勝之門下、三年於此矣。
今、先生、勝(ショウ)の門下に處ること、此(ここ)に三年なり。
ところが、いま、先生は勝(わたし)の門下に三年もおられるが、
左右未有所稱誦、
左右、未だ稱誦(ショウショウ)する所(ところ)有(あ)らず、
わが左右の者は一度も先生を称揚したことはなく、
勝未有所聞、
勝も未だ聞く所有らざるは、
勝も先生の優れた点を聞いたことがない。
是先生無所有也。先生不能、先生留。
是(こ)れ先生、有する所無(な)きなり。先生能(あた)わず、先生留(とど)まれ、と。
つまり、先生には技能がないのだ。したがって、先生には今回の任務は果しえないのだから、
ここに留まっていてほしい。
毛遂曰、臣乃今日請處囊中耳。
毛遂(モウスイ)曰く、臣、乃(すなわ)ち今日、嚢中に処らんことを請(こ)うのみ。
毛遂が言いました、私は、今日はじめて嚢の中にいれてくださいとお願いするのです。
使遂蚤得處囊中、乃穎脱而出。非特其末見而已。
遂をして蚤(はや)く嚢中に処るを得(え)しめば、乃ち穎脱(エイダツ)して出(い)でん。
もし、早くに私を袋の中に入れていたなら、穂先が出るどころでは済まず、
錐の柄まで現れ出ていたことでしょう。
平原君竟與毛遂偕。
平原君、竟(つい)に毛遂と偕(とも)にす。
平原君は、ついに毛遂を同行させることにしました。