目的を達成するために機会を待ち、苦労を耐え忍ぶことを表す四字熟語です。
「臥薪」は堅い薪の上に寝て復讐の気持ちを忘れない様にしたこと、「嘗胆」は苦い胆を嘗(な)めて仇を討つための苦労を自分に課し、機会が来るまで苦労を重ねる意味を表します。
紀元前5世紀後半春秋時代の終わりの頃、中国南方の呉と越との間での出来事です。
B.C.496 呉王闔閭(コウリョ)は越王勾踐(コウセン)に敗れ、戦いの傷がもとで亡くなります。『十八史略』には「夫差(ふさ)讎(あだ)を復(ふく)せんと志す。朝夕(ちょうせき)薪中(しんちゅう)に臥(が)し、出入(しゅつにゅう)するに人をして呼ばしめて曰く、夫差、而(なんじ)は越人(えつひと)の而の父を殺ししを忘れたるか」と。これが「臥薪」です。
B.C.494 呉王夫差が越王勾踐を会稽山(カイケイザン)に破ります。同じく『十八史略』には「句践(こうせん)国に反(かえ)り、胆(きも)を坐臥(ざが)に懸(か)け、即ち胆を仰(あお)ぎ之(これ)を嘗(な)めて曰く、汝(なんじ)、会稽の恥を忘れたるか」と。これが「嘗胆」です。
『史記』にも、「呉太伯世家(ゴタイハクセイカ)」、「越王勾踐世家(エツオウコウセンセイカ)」に呉越の戦いは述べられていますが、こちらは「嘗胆」の記載はありますが、「臥薪」はありません。「勾踐が汝の父を殺したるを忘れるな」とありました。
12月14日は 高輪泉岳寺義士祭、赤穂義士祭です。
日本史年表には
元禄14年(1701)浅野長矩、江戸城殿中に吉良義央を傷つく。
元禄15年(1702)浅野遺臣、吉良義央を討つ。
と記載されています。