過去の事を話すとすぐ未来のことを推しはかる、というのが文字通りの意味です。そこから、聞いたことから、直ちに新しいことを知るという意味で、類義の言葉は『一を聞いて十を知る』がこれにあたります。『論語』学而篇が出典です。
孔子と弟子の子貢との会話です
子貢が孔子に尋ねました、
貧しくとも卑屈になって諂(へつら)うことがなく、
富んでも驕りたかぶることのない人はいかがなものでしょうか。
孔子が言いました、
それはそれで結構だが、
貧乏を忘れて楽しめる人、
金持ちになっても、礼儀を愛し好む人には及ばないな。
これを聞いた子貢はピンと来て、
『詩経』の中に切磋琢磨と云って、磨きの上にも磨きをかけよという句がありますが、
この句は、いま先生のお言葉の意味と同じでしょうか、と尋ねました。
孔子は子貢の感度の良さに感心して、
賜也始可與言詩已矣。
賜(シ)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。
賜(子貢の名)よ、始めてお前と詩が語り合えるようになったな。
告諸往而知來者也。
諸(これ)に往を告げて来を知る者なり。k
昨日と言えば、明日は、と来る。
(打てば響くとはこのことだ。なかなか悟りがよいではないか)