側に人がいないかのように、自分勝手に振る舞うことを表します。
【旁(かたわら)に人無きが若(ごと)し】は『史記』刺客(シカク)列伝に出ています。刺客列伝は五人の義侠の士について書かれています。その一人が荊軻(ケイカ)です。
荊軻は酒が好きで、酒飲みたちと交際していました。その人柄は思慮深く読書家でもありました。彼が旅した諸国では賢人、豪傑や有徳者と交際して、お互いに誼(よしみ)を結びました。
荊軻が燕に行った時のことです、犬の屠殺(トサツ)を行う人や、善く筑(チク:琴に似た楽器)を弾く高漸離(コウゼンリ)などと気が合い、飲み仲間になりました。荊軻は、日々高漸離と燕の市で酒を飲み、酒の酔いが進むと、高漸離が筑を弾き、荊軻が筑に歌を合わせ市中を歌い歩き、お互いに楽しみました。そのうちに泣きだし、旁(かたわら)に人がいないかのような振る舞いでした。
荊軻嗜酒、
荊軻、酒を嗜(たしな)み、
荊軻は酒を飲むのを好み、
日與狗屠及高漸離飲於燕市。
日に狗屠(クト)及び高漸離と燕の市に飲み
毎日のように犬殺しや高漸離と燕の市街で飲んだ。
酒甜以往、
酒、酣(たけなわ)にして以て往き、
酒がたけなわになると、
高漸離撃筑、
高漸離、筑を撃ち、
高漸離は筑を奏で、
荊軻和而歌於市中、相樂也。
荊軻和して市中に歌い、相楽しむ也。
荊軻はそれに合わせて共に楽しんだ。
已而相泣、
已(すで)にして相い泣き、
やがて互いに泣き、
旁若無人者。
旁に人無きが若(ごと)し。
その有様はまるで周りには誰もいないかのようだった。
ここで【旁(かたわら)に人無きが若(ごと)し】が出てきました。荊軻の物語はここから始まります。